2011年6月7日火曜日

ふるさとは遠くなんかねえよ・その1

(写真は、関内にある36年続く独特な雰囲気のコーヒーショップ)


週末に写真展みっつ、行ってきたので
とりあえず、体裁は気にせず書きなぐりますよ。


ひとつめは、「野村佐紀子展4」
ちいさかったけど、いちばん心に焼きついた。
身近なふたりの人物の死がテーマ。

二つの展示空間があり、
ひとつめの部屋は、
「不在」を表現。
故人との所縁の場所と思しき写真や、
子供の裸体
(たぶん、故人は女性で子を持たずに亡くなった?)、
葬式の風景などの写真が並ぶ。

どの写真も焦点があまく、
ファインダー越しにいるべき人がいないことを
暗示している。


ふたつめの部屋は、若い男性のヌード。
じつは、野村氏が20年前に初めて撮影した男性ヌードのモデルだ。
印象的な目をした美しい男性が放つのは、強烈な存在感。
しかしながら、美しすぎるゆえに
どことなくはかなげで、
いまにも煙のように消えてしまいそうな
あやうささえ感じる。


はじめの展示空間では、
世界にぽっかりと穴の空いたような
不在にフォーカスすることで、失った人の存在の大きさを示し、
次の展示では、被写体の存在を
意識せざるを得ない空間で、
触れれば消えてしまいそうな
脆く希有な美しさを表現していたのではないかと。
そんなことを妄想してしまった。


野村氏の作品が心に残ったのは、たぶん、
作家自身の実体験としての「喪失」が、
自分の中で、いままでずっと目を背けてきた、
故郷である石巻の「喪失」と重なったからなんじゃないかと思う。


大事な存在を失ったという、痛ましいできごとを
氏の写真を通して追体験したことで、
いままで受け容れることができなかった
自分自身の「喪失」体験が容赦なく迫ってきた。
わたしはきっと、そろそろこいつを
迎えいれなくちゃならないんだな。
そんな気持ちなれたので、
決して悪いことじゃなかった。


長くなったので、
あとふたつの展覧会のことはまた明日。

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