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2011年6月7日火曜日
ふるさとは遠くなんかねえよ・その1
週末に写真展みっつ、行ってきたので
とりあえず、体裁は気にせず書きなぐりますよ。
ひとつめは、「野村佐紀子展4」
ちいさかったけど、いちばん心に焼きついた。
身近なふたりの人物の死がテーマ。
二つの展示空間があり、
ひとつめの部屋は、
「不在」を表現。
故人との所縁の場所と思しき写真や、
子供の裸体
(たぶん、故人は女性で子を持たずに亡くなった?)、
葬式の風景などの写真が並ぶ。
どの写真も焦点があまく、
ファインダー越しにいるべき人がいないことを
暗示している。
ふたつめの部屋は、若い男性のヌード。
じつは、野村氏が20年前に初めて撮影した男性ヌードのモデルだ。
印象的な目をした美しい男性が放つのは、強烈な存在感。
しかしながら、美しすぎるゆえに
どことなくはかなげで、
いまにも煙のように消えてしまいそうな
あやうささえ感じる。
はじめの展示空間では、
世界にぽっかりと穴の空いたような
不在にフォーカスすることで、失った人の存在の大きさを示し、
次の展示では、被写体の存在を
意識せざるを得ない空間で、
触れれば消えてしまいそうな
脆く希有な美しさを表現していたのではないかと。
そんなことを妄想してしまった。
野村氏の作品が心に残ったのは、たぶん、
作家自身の実体験としての「喪失」が、
自分の中で、いままでずっと目を背けてきた、
故郷である石巻の「喪失」と重なったからなんじゃないかと思う。
大事な存在を失ったという、痛ましいできごとを
氏の写真を通して追体験したことで、
いままで受け容れることができなかった
自分自身の「喪失」体験が容赦なく迫ってきた。
わたしはきっと、そろそろこいつを
迎えいれなくちゃならないんだな。
そんな気持ちなれたので、
決して悪いことじゃなかった。
長くなったので、
あとふたつの展覧会のことはまた明日。
2011年6月3日金曜日
英語はじめます
4年ぶりくらいに英語の勉強始めることにした。
あんまりにも英語読めなくなったし、聞けなくなったのだ。
それと、iPhone一台でだいぶ練習できるということもわかった。
英語も自分のためにできた方がいいと思った。
年内目標
1. 外国人みても怯えなくなる
2. 英語のブログとかニュースを読めるようになる。
3. かんたんなメッセージのやりとりを、英語でてきるようになる。
計画(おおまかに)
6-7月
英語教材利用開始
語彙の記憶を取り戻す
日常会話のかんたんな言いまわし、センテンスを覚える
8月
Facebookで外国人の友達をつくってコミュニケーション取る
単語・熟語の語彙を増やす
海外サイトの記事を読む訓練をスタート
9月
外国語のPodcastを聴きはじめる
単語・熟語の語彙を増やす
英語の記事が6割理解できるようになる
10月
Facebookの外国人の友達を5人迄増やす
単語・熟語の語彙を増やす
英語の記事が7割理解できるようになる
11月
単語・熟語の語彙を増やす
英語の記事がだいたい理解できるようになる
12月
Facebookの友達を10人まで増やす
荒く英文メールが打てるようになる。
2011年5月23日月曜日
2011年5月22日日曜日
急きょ入院の巻 その2
昔から多くの看護師らを泣かせてきたものだ。
(いや、正しくは泣かされてきたのだった)
点滴と血液検査のたびに、3回刺し間違いされるなんてザラ。
それでも最終的には右肘関節の内側部分で丸く収まる。
が、入院中は、関節に刺すのはNGらしい。
今回も両手の甲に一個ずつ刺されたうえで、利き手の手首の横という、微妙なポイントに針を固定された。
こうして、起きている間じゅうずっと点滴を打ってる。
トイレまでつれてく。どこ行くのにもつれてく。
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おかげで、熱は下がったし痛みも引いてる。
点滴くんのおかげ。
でもやっぱり、手首しんどいわ。
ありがたいけど、はやくさよならしたい。点滴くん。
急きょ入院の巻
風邪がこじれて、急性扁桃腺炎(悪性)で昨日入院。
はじめての入院食...これがうわさの!
喉が痛かったので、五分粥食だったのですが。
味気ない! もとい、味がない!!
今日、お昼から通常のご飯にもどしてもらいました。
筑前煮に卵豆腐に味噌汁。
あら、なかなかいけるじゃないの。
いずれにせよ、旦那の差し入れ、梅ゆかりが抜群の威力を発揮したことはいうまでもなし。
2011年5月15日日曜日
益子またいくよ
春の益子の陶器市にきたのは、今年で二回め。
今回訪れたのは、5日の陶器市最終日でした。
あいにくの曇り空だったけれど、たくさんのひとで賑わっていました。
今回は、丼や焼き魚用の皿など、300〜500円の手ごろな量産品の器を中心に購入。
あとは、作家ものとしてご飯茶碗とスープボウル、
旦那用のマグカップを買いました。
これは、お尻がかわいくて買ったスープボウル。
お味噌汁から野菜スープまで、毎日重宝してます。
益子にくる前、Twitterで、益子もまた東北大震災の被害にあい、
商品が数多く破損し、窯もたくさん崩れたと聞いていました。
テントで器を売っていた、若い窯元の三代目に
震災の影響について話を聞いてみたところ、
「うちも、祖父の時代に使われていた登り窯が
くずれてしまいました。
ここらの登り窯はほぼ全滅ですね」
ふと、さみしげな表情。
商品もかなり壊れてしまったけれど、
なんとか、あるもので陶器市に出展したんです、とのこと。
がんばってください、また来ますと伝えると
「ありがとうございました。
どうぞ楽しんでいってください」
日焼けした肌に白い歯をみせ、
笑顔で見送ってくれました。
こうして、わが家につれかえってきた
益子焼の器たち。
益子焼は土が柔らかく欠けやすいので、
扱いは慎重に。
震災を力強く乗り越えようとする
陶芸の里の思いごと、
ていねいにていねいに使っていきたいと思います。
2011年5月10日火曜日
ブス会の密度
私にとって、東京で初めて観る舞台だった。
ストーリーの説明は省くけれど、
女と女の笑顔のうしろにある
じりじりとした嘘と緊張感が
リトルモア地下の、せまいせまい空間で、
喉がカラカラになるほど、濃厚に描かれていた。
使い古された感のある妙にリアルなセット、
女優らの声の自然さ、
どれも、この観客との近くて密な距離感の上で
成り立つ表現なんだなと。
舞台との一体感なんて悠長なものじゃなくて、
その圧迫感のある空気感に、見ているこっちが、
うっすら汗をかくような感じ。
女は共感の生き物だというけれど、
ある意味、演劇という半強制的なコンテクストによって、
女としての共感を強いられているというか。
目を背けたいものに、知らず知らずひっぱられていくような感覚。
そして、ラストは登場人物たちの懺悔、ものすごいカタルシスが待っていた。
序盤からの緊張感と圧迫感、ラストに迎える安堵と開放感。
これが、この演劇の仕掛けなのではないかな。。と勝手に妄想。
どうやら、男と女で受け取り方はちがうようで、
同じく、演劇経験値の低い夫は
ずっと居心地の悪さを感じていたといっていた。
「いつだって、腹にイチモツかかえているの」
そんなブスな心をちょっとでも持ってる女性なら
きっと楽しめるんじゃないかな。